さ魔よい50周年記念原画展 大橋学Q&A Part2

大橋学が何でも質問に答えるQ&Aコーナー、PART2です。

Q&Aコーナー

2013年9月21日
会場/ギャラリィ・ゴーシュ
司会進行/なみきたかしさん
写真/アニドウ・フィルム 、なみきたかしさん 金子由郎さん


 

Q10. 70~80年代にブランクがあるようですがその間どのようなお仕事をされていたのでしょうか?(質問者:西川口ぎじんさん)

 

大橋 70年前半くらいじゃないのかな?ブランクは。タツノコ系と東映系の仕事していましたよ。

アパッチ野球軍なんかをやってましたよ。アパッチ野球軍はソノシートのジャケット絵もやってましたね。

キャラクターを描いていたのは友人の風プロダクションの社長のMさんで、ちょっとダサい感じのキャラだったのを川崎のぼるさんや園田光義さんそっくりにカッコよくキャラを変更して描かせてもらったんですよ。

それがわりと東映側には気に入られて、キャラが出てくるコマーシャル関係の仕事はだいたい頼まれましたね。

今回ソノシートをケースに展示出来ればよかったんだけど、見つけられなかったのでお見せできないのが残念でした。

その当時同棲してたんだけど、奥さんは家で紅三四郎をやってました。仕事はしてましたよ、ムーミンも動画やってましたし、Aプロでは20日間だけ巨人の星の動画をやりましたし。

結婚したのはその4~5ヶ月後なんですけど結婚もしたし子供が生まれるって状況でしたし、ず~っとちゃんとやろうと思ってた時期ですね。話が前後するけど結婚前の食べれない時に、近くのプロダクションで動画をやらせてもらったんですよね。3500円の仕事でした。我慢すれば1000円で一週間何とか食べられるかな、ってくらいだったんだけど、支払いの段階になって社長さんが逃げたんですよ。悪いことが連鎖しましたね。

その後あの時のお金払います、って書かれた名刺がポストに入ってたんだけど、今頃来たって・・・って思ったね。

結局3500円は大事だったけど取りには行かなかったんだよね。悪いことは続くんだよね。10代をいじめるような悪い社会があったんですよ。ただの被害者意識かもしれないんだけどね。

 

なみき 今もわりに会社単位であったりしますから。うちの会社にも25万支払われずに逃げられたことありましたからねぇ。

よくあることかもしれませんね。

大橋 そういえばね。70年代にアニメがぞろぞろ出来始めた頃、ビッグXって作品の原動画か仕上げまで入ってかは分からないけど、前金でくれたそうですよ。

それで前金で60万もらって、プロダクションの社長が逃亡したんですよね。ビッグXだけに急にビッグになっちゃってね。

そういうのが何回かあるんですよ、お金がなくなって戻ってくるのかはわかりませんけど。信用の有無に関わらず当時は前金で貰ってたそうで、その後は逃げられちゃうんで前金制度は変わったんですね。60万は大きいですよね。

なみき それ前金は駄目でしょう。使っちゃいますもの。一本やると確かにそのぐらいはもらってましたね。

大橋 会場に東映の先輩がいるんですけど、当時は本業やりながら赤塚さんのおそまつくんとかQ太郎とか先輩の家でバイトやってましたよね。バイトの方が忙しかったりして稼げちゃってたから会社にアニメーターがいなかったりしてね。

確かにブランクはありましたね。ちょこちょこはやりましたけどバイトはバイトなんでね。

当時半パートやればだいたい食べられたけど、タツノコは半パートでも10万、いなかっぺ大将、ハクション大魔王もぴったり10万で食べられないわけではないけど安いな、と思ったね。

当時家賃が一万7000円くらいね、今三倍くらいにしてみればいいのかな。

なみき その辺のお金の話はなかなか興味深いですけどね。

大橋 悪いことが集中したのは黄金バットを半パートやったのに支払われなかったことと、ロゼット洗顔パスタの黒子さん白子さんのスケートのCMを東映にいながら頼まれて、友人の先輩と二人でアパートを行ったり来たりしながら仕上げたんだけど、これもいざ支払いの段階になったらなんだかんだ言い訳してきてもう詐欺みたいですよ。

黄金バットの場合は作った後に何か問題があって放送出来ない、って言われたの。多分その話木村さんは覚えてないと思うけど・・・・

その後放送されたのかどうかは確認してないけど、涙金ぐらいは出たかもしれないけど労働に対して涙金じゃ困っちゃいますよね。

東映辞めて数年、駄目なりに何とかもがいてもがいて、でも上手くいかなかった時期ですね。

東映を辞めてアパートにいた時、フリーで紅三四郎を半パートずつ2~3本くらいやってるんですよ。木村さんも東映にいながら一緒にやってたんですよね。

そこに村田四郎さんが加わって、その辺がタイガーマスクに移行する前編の話ですね。村田さんとはアパートも隣同士になったんで、そこに木村さんがうちに来たり隣に行ったりしててだんだんタイガーマスクをやるようになっていくの。

その辺で村田さんと木村さんは急接近しましたね。自分は木村さんと離れよう離れようと意識してた時期ですね。

 

タイガーマスクOPについて



Q11. タイガーマスクのオープニングは村田四郎さんが描かれたという説もあり、木村圭市郎さんが描かれたという説もあり、本当はどちらが描かれたのでしょう?気になって夜も眠れません。(質問者:なみきたかしさん)


大橋 えっとね、木村さんにコミティアで確認取りました。全部木村さんが自分で原画描いてるの。

翻訳して付け加えるとね、動画は全部村田四郎さんが描いてるの。

その前にタイガーマスクのパイロットフィルムってのがあって、それの動画は全部俺が描きました。顔が描いてないラフ原画なんですよ。動きのラフでとにかく作っちゃうから。

木村さんが顔に十文字マーク付けて、それで自分が動画をやっちゃったんですよね。

それが始まりで木村さんが「これが出来ちゃうのはいいなぁ~!」ってその時言ってました。

ラフから原画じゃなくてラフから動画なんですよね。このパターンが前例となって、木村さんが原画を描いて村田さんが動画を描く、という合体ですね。

最後の線は動画になるんだけど、原型の基本のフォルムは木村さんが描いてるからね。木村さんの話では


「最後のエンディングの大判の240フレームね、あれだけは直したけどね。」

「タイガーの出だしのトラの置物ね、あれは新宿のあそこで買ったんだよ。」


っていうことでちゃんとそのプロセスは踏んでいて、急接近した村田四郎さんがタイガーで合体したのね。

当然流れでは動画を全部、ラフの段階でくっきりと動画に出来ちゃう。中間の第二原画とか修正原画がないんだから。

宝島もそうだけどラフから動画になったのね。全部飛んじゃってラフから動画。

だからタイガーマスクは二人の合作で正しいんじゃないんでしょうか。


なみき 今は原画はみっちり細かく描くじゃないですか。ラフでもキャラクターはみっちり描きますよね。タイガーの頃は説明が難しいんだけどフォルムはあるけど顔がないんで大ラフ原画みたいな。フォルムはあるけど顔は十文字ですよ。

僕の友人も当時木村さんに「これ顔がないんですけど」って言いに行くと「君、キャラクター表は何のためにあるんだ。」って言われて一生懸命顔を描いて見せに行く、っていうね。

だから木村さんの下は有名な人が育ってるし、鍛えられましたよね。ただ今は顔が描いてないのは原画とは言われないご時勢ですよね。今の基準で言ったら村田さんのやってたのが今時の原画に近いかもしれない。

大橋 止めがとにかく村田さん色が強いですし動画にしてるんだから間違いなく当然村田さんの線が出てますよね。

なみき ダイナミックな動きやフォルムは木村さんって良く分かる話で。

大橋 だから二人とも、自分が描いたんだよ、で正解です。


あしたのジョー2、あんなぷる、出﨑作品について



Q12. あしたのジョー2について。ジョー2作画時の想い出、苦労話をお聞きしたいです。(質問者:野口まさつねさんより)


大橋 あんなぷるは西荻窪の住宅地の古い民家でね、杉野さんの部屋もあったり、とにかく部屋がたくさんあって、何もかもあそこから生まれる、ってくらい想い出一杯ですね。

テレビのジョーはムービーの作品ですけど本拠地があそこですからムービーのプロデューサーもあんなぷるに出入りするの。

映画のジョー2の方がテレビ版より先にクライマックスをやったんだよね。

出﨑さんの絵コンテの上がりをあんなぷるのみんなで待機してね。制作の人が今日は駄目みたいだ、って手で駄目サインして。

コンテが上がらなければしょうがないから、また次の日に。

でも家には帰れないんですよ。3日間待機して、3日泊まったことあります。

そんな緊張感のある待機を何回か繰り返してハードでしたけど、出﨑さんのコンテも遅いけど上がってくるんですよね。

最後にジョーが真っ白になるシーンの(テレビより先の劇場版のラストシーンまで)の打ち合わせをあるビルの一角でやったんですよ。

それが明け方くらいでね、打ち合わせ終了後に出﨑さんがジョー山中の音楽をカセットテープで流してくれて。

あの曲が流れてじ~んとなりました。

みんなこれから仕事しなきゃいけないのに 「あぁ終わった~・・・・」 って。

感動的な音楽でね。音楽だけで、もういいよ、ってね(笑)

テレビ版の方は後からクライマックスになるんだよね。控え室のジョーと葉子のあの辺のシーンをやってますね。

ホセ・メンドーサのシーンでは何ラウンドは誰、っていう打ち合わせでしたね。ラウンドによっては長いシーンもあるし、短いのは1ラウンド3カットで終わっちゃうシーンもあるけどそういう振り分けでしたね。

当時はあんなぷるに所属してたんで3日待機してても給料はもらえたんで条件は良かったですね。やっていくら、ではないので安心の3日ですね(笑)

あんなぷるは冬のイメージだね。区切りがいい時になると朝方みんなで西荻窪の駅前に飲みに行って、またこたつに戻るっていう。で、テレビつけながらまた飲む、っていう独特な世界でした。ジョーもコブラもそんな感じでね。


なみき コンテが上がってきたらそのつど打ち合わせなんですか?

大橋 出﨑さんの絵コンテはぶ厚いのが上がってくるわけじゃなくてせいぜい10枚ぐらいなの。本当に悩むとコンテの手が止まっゃうからね。

ただ家なき子は凄く乗ってて順調でした。半パートとかではなく一本ドサッと、毎週上がってくることがあって、その位ホットな絵コンテでした。で一気に打ち合わせして。

当時の家なき子も二人原画なんですよね。打ち合わせよりもレイアウト打ち合わせが重要だったので打ち合わせはごく軽くね。

あの当時は一枚描いて来なさい、っていう感じなの。レイアウトシステムの始まりかもしれないね。

コブラはレイアウトシステムは無かったんで、家なき子で定着したって訳ではなくってまたコブラでレイアウトシステムが無くなったんであったり無かったりですね。今は当たり前になっちゃったけど。


Q13.出﨑作品について。最も思い入れのある出﨑作品は何ですか?(質問者:まっつんさん)


大橋 作品では最初のジョーで出﨑さんを知ったんですけど、やっぱり凄いですよね。ジョーでは杉野さんの方を先に知ってたんで、絵の方がやっぱり凄いなあと思ってましたね。

人括りに出来ないですけどトータルですよね。やっぱり人が亡くなると途中経過よりもよく見えるんですよね。これから出﨑さんを知ることも出来るし、とにかくガンバも全部観てないし、エースをねらえもちゃんと観てないし。

最初のジョーの場合はファンとして夢中になって観ていましたけどね。一緒に仕事をするようになるとただただファン、っていう訳には行かないんで、何かぶつかり合いながら生み出して行く、っていうのがありますね。

ま、(出﨑さんは)巨大かな~、一つの星かな~、って感じで思ってますね。

だから宮崎さんとか作品に関わってないから知らないんだよね。

一緒に関わった人が大事なんでね、関わってない人に関しては感想は言えないの。

出﨑さんは一つの星です。死ぬまでに全作品見れるかなぁ~って感じだけど、これからもっと輝くかどうかは自分次第ですね。


Q14. ガンバの冒険について。ガンバの冒険ではどのシーンを担当したのですか?描いていて気持ちのいい(場面)カットはどこですか? (質問者:ひとにゃんさん)


大橋 5話までしか観てないのでガンバの感想はまだこれからなの。ただ観なくても言えるのが最終話なのね。

何でかっていうと自分の仕事が終わって安心して観てるから。ガンバは75年だよね?ビデオデッキを買ったか買わないか、ってギリギリの頃なんだけど、仕事をしていた最中はテレビの前で絶対に待機して観なきゃ、って感じで観てないのね。

ただ最終回だけは安心して観たんだよね。だから5話以降のどこをやったかな?っていうのはあんまり覚えてないのでこれから確認しようと思ってます。

(補足:担当話は6、11、20、最終26話後半Bパートとなっています。作画@wiki)


Q15. 奥様と一緒にやられた仕事で思い出深い作品を教えて下さい。


大橋 まんが世界昔ばなしの十二の月と人魚姫ですかね。あとは公開されてないですけど「お獅子の首はなぜ赤い」とか東映教育映像の貸し出し作品のフィルム2本「七五三」とか「もぐらのポーさんシリーズ」4部作(うち春と秋の2本担当)けっこう一緒にやってるんですよ。もともとアニメーターを一年半くらいやってたんで原画を描けたんですよね。途中から背景を志望してたんで背景は得意だったんです。

その後は何かっていうと一緒にやる機会を狙ってたみたいで、オイシイ話があると黙ってても積極的に頼まなくても入ってきましたね。その中でも十二の月は二人でちゃんと出来た作品かな。演出、原画、もちろん背景は描いてもらったし、動画も描いてるし。

二人でやった仕事の中では理想的な短編作品でしたね。


Q16. 自費出版の予定はありますか?パラパラまんが以外でありましたら教えて下さい。


大橋 ずっとやりたいと思ってます。(画集は)ネクストに期待して下さい。


Q17.大橋さんの描かれる、風や空気に「乗っている」ような空を飛ぶ表現、言葉にすると「飛行」、ではなく「浮遊」と表現するのが最適と思いますが、「浮遊感」をあのように表現をするきっかけというのはあったのでしょうか?

また、あの表現は、何かから影響を受けているのでしょうか。アニメーションで究極の「浮遊感」を表現してみたい、といった試行錯誤された上での表現なのでしょうか? (質問者:くまさん)


大橋 そんな大それた考えは無いですが、空を飛びたい夢想は子どものときから良く有りました。アニメーションは体験した事が無くても紙の上で擬似体験出来るんですよ。(いつもではないけど)それは紙の上で “生きた” って事に繋がります。


Q18. 「サカサマのパテマ」、大変楽しみなのですが、どのくらいの時間分をご担当されたのでしょうか?

なにせ、風や空気と同じような、目には見えない重力の表現と、空の表現が、とても重要な映画のようですので、大橋さんが大活躍されそうな場面が思い当たりすぎまして、気になっています。(質問者:くまさん)

 

大橋 吉浦さん(脚本・監督)がユンカースの飛行シーンを気に入ってくれ、それがきっかけなのか?「あんな感じで・・・」と依頼されました。(ちょうど退院した後の原画復帰、初仕事になります。)

あのサカサマで抱き合って主人公の少年と少女が飛ぶシーンは最後まで自分の納得感が見つけられずに悩んだまま終わってしまった感じです。

正味何分かの担当ですかね?(完成作は見ていないので何故にサカサマなの?って・・・)

最後にトップシーンの雲が上昇するカットを頼まれましたが、最初からこの方が自分には合ってたと思いますね。

 

~終~


企画・主催/日本アニメーション文化財団、アニドウ・フィルム
2013年12月6日:ena