2011年5月5日 会場/阿佐ヶ谷ロフト 司会/小林治さん、森本晃司さん
小林 森本さんが動画の頃は大橋さんの原画が面白いから好んでやってたって話ですよね。
森本 まず一番最初に出合った原画マンが大橋さんで、自分が大橋さんの原画を担当した時に、絵が好きだし動きが凄い面白いなぁ~と思って、自分から制作の人に「大橋さんの原画が上がってきたら必ず私のとこへ、ちょっと。」て言ってね。大橋さんのはやります、ってね。その位好きだったし。
小林 原画に魅力があったんですね。
森本 その後大橋さんと一緒に飲んだりとか語ったりするようになって、ああ、あの作品もやったんだ、これもやってたんだって驚いたんですよ。ああ!知ってますぅ!とか言って。
そして今日はオサムちゃんが世の中の1,2ってくらい好きだって言う・・・・
小林 宝島のエンディングね。オープニングももちろん大好きですけど。
森本 その宝島のオープニングとエンディングをやられてますよね。
(ゆっくりと大橋学登場)
森本 では今回のゲストの大橋学さんです!!(会場拍手)
小林 今日は来て頂いて光栄です。今日は大橋さんにいろいろ聞いてみたいと思います。まず絵を志す動機って言うか、その辺をお聞きしたいなぁって。絵は小さい頃から上手だったんですか?
大橋 えっと今日はね、自分が中学時代描いた物を集めた段ボール一箱『タイムカプセル』をのぞいてみたんですけど、中学時代夢中になっていた物を見たら恥ずかしくなっちゃったんですよね。自分が昔凄くヘタだったなぁっていうのが良く分かったんですよ。そのヘタさ加減を認めなきゃいけなかったなぁって思って。
中学時代どんな子供だったかというと、あんまり目立たないんだけど漫画が大好きな子供でした。当時は「少年」、「少年画報」、「ぼくら」、「少年ブック」とか色々ありました。メジャーなのは「少年」で鉄腕アトムや鉄人28号なんか連載してましたね。自分が購読していたのは「少年画報」で、赤銅鈴の助とかビリーパックとかが大好きな子供でした。
貸本って言うのは戦後からずっとあって、子供ゴコロにこのよなよな光ってる本屋さんは何だろう?と思ってたんだけど中学になるまで入れなかったんですよね。大人な雰囲気で。
中学に入って初めて貸本屋に入れるようになったんだけど面白い劇画雑誌の短編集がたくさんあってね。
有名なのはさいとう・たかをさんの日の丸文庫出版の「影」(大阪)、東京の方では「街」っていう劇画雑誌がありまして、そこに急にはまって片っ端から真似をするようになったんですよ。
それが、凄く熱中した中学時代の劇画の世界なんです。その頃主に似顔絵を投稿していたんですよね。
最近分かった事ですけど、出﨑さんと杉野さんはすでに短編作品を投稿していました。荒木伸吾さん、真崎守さんの名前を短編漫画で知っていました。荒木さんの名前は中学時代から知っていて、名前がカッコいいんで、もうパッと覚えちゃいました。もりまさきさんはオールひらがなで活躍していましたね。絵はあんまり覚えてないんだけど、名前は覚えてました。
中学三年の時は劇画クラブを作っていて、会員35名ぐらいの同級生2~3人引っ張り込んでガリ版刷りの10~20Pくらいのを、うちの庭の物置でコリコリとやっていました。流行ってたんですよね、当時劇画クラブが。
で、おかいしいのがね、全然意味は分かってないんですけど「スペクタクル劇画同人」という名前を付けていました。
小林 上手いよね!中学生の絵じゃないよね!
大橋 さいとう・たかをさんは日活のアクションの流れをくんでいて、自分は赤木圭一郎のまさにファンだったので「激流」なんです。
これは3号になっているんですけど、だいたいどの作品もNo.3で終わるんです。
小林 このナンバー・3が可愛いですね。これガリ版ですよね。
大橋 それでね、自分は劇画家を目指していたんで、中学卒業前にさいとうプロか、ありかわ栄一さん(貸本時代の旧筆名、その後園田光慶と改名)の所によく訪ねていって顔を売るようにしていました。
園田光慶さんは貸本時代、ありかわ栄一さんの名前で描いていたんだけど、貸本が潰れてしまうんで雑誌の世界へ移らなくてはいけないということで、川崎のぼるさんの代筆を主にやっていました。何作かやってやっと園田光慶って名前になったんですよ。
その頃の劇画時代の人はみんな雑誌に転向しましたね。
自分は劇画家を目指していたのでありかわさんのアシスタントか、集団でたくさんの人がいたさいとうプロに行こうと思ってました。そこに顔を売るようにして絵を送ったりなんかしてね。
小林 さいとうさんとは交流あったんですか?
大橋 えぇ。ありました。その頃はよく似顔絵を投稿してましたね。ここにね、住所書いてあるの(笑)
(投稿作のイラスト登場。コメントが「ぜんたいにうすっぺらい感じだながんばってネ75点」)
森本 いや、昔ってね住所書いたんだよ(笑)
大橋 サインばっかり凝っているの。絵は全然ダメなんですけど(笑)
(さいとう・たかをさんの手紙と肉筆の原画登場)
大橋 これ表紙の一部なんですよ。
カラーの原画をもらったんですよ。この頃はみんな原画をチョンチョン切ってたんですよね。その後原画を切るのはやめてくれ、って言ったのは白土三平さんなんです。
やっぱり将来原画は役に立つから、ってことでね。
小林 それ正しいですよね(笑)でも投稿する者からしたら原画もらえるって嬉しいことですよね。
大橋 それで中学時代は猿飛佐助、安寿と厨子王丸、西遊記などの長編は凄く熱中して観ていました。
小林 一番お好きだったのは何ですか?
大橋 一番熱中したのは西遊記、猿飛佐助かな。
森本 その頃からアニメーションに興味あったんですか?
大橋 中3の秋頃、東映のテストの小さい募集広告を見ましてね。どちらかというと8:2位の割合で劇画に進みたいと思ってて、ほんとうに直前までさいとうさんの所へ行こうとしてたんですよね。
ところが10月頃テスト受けてみたら東映に受かっちゃったんですよね。それで貸本からちょっと離れたんですよ。半年くらい。中3の年内には面接も受かって内定してましたから。その2~3ヶ月後に虫プロの募集広告のこんな小さい記事を見つけてね、あ~、虫プロっていう手もあったか~と思ったんですけどもう東映に受かっちゃってたから(笑)
で、その頃出﨑さんと杉野さんは既に(劇画に)投稿してたの。最近知ったんだけど、あ、昨日知ったんだけど
小林 すげぇ最近(笑)
大橋 杉野さんはいつ頃入ったのかなぁ~?って調べたら39年なの。自分も昭和39年なの。
小林 オレが生まれた年ですね。オリンピックの頃ですね?
大橋 うん、そう。で杉野さんは劇画で食べていこうと思ったらしいんだけど、貸本がなくなっちゃったもんでね。劇画では出﨑さんの方が先輩だったらしいんですよね。虫プロに入った時に出﨑さんが「杉野さんのは載ってないだろう?」なんて感じのことを言われたらしいんだけど、ほんとは2本載ってるんですって。
小林 あ~ちょっと上から目線ですね(笑)それは大橋さんはご覧になってるんですか?
大橋 後でコピーで見たんですけど、けっこう表してるね。杉野さんは繊細な感じで大胆な感じが出﨑さん。やっぱり小さい時のルーツを表してる。
小林 森本さん出﨑さんの「伍空」のマンガ見てるんですよね?どうなの?
森本 いやぁ、もうめちゃくちゃ凄かったですよ。
小林 大胆なの?やっぱり。
森本 凄くシャープでバタくさくなくて手塚さんの流れじゃない、手塚さんはもちろん入ってますけどちょっと違うんだよね。もっとシャープな物が入ってる気がする。どちらかというとグラフィック寄り、デザインチックな感じ。もともと出﨑さんもさいとう・たかをさんとかの流れですよね。
大橋 まさにそうですよね。
森本 出﨑さんの一番最初の16才の頃の漫画が展示されてたんだけど、それもまさに大橋さんが通ってきた道のように、やっぱりさいとうさんの絵柄というか劇画のほうですよね。
大橋 どうも劇画家を目指していた人たちが虫プロに多い、らしい。
小林 絵の上手い人が虫プロで根っからのアニメ好きが東映なのかなぁ~?って。
大橋 東映は美術学校を出た絵描きになりたい人が多いと思うんだけど、だいたい社員の人は美術学校出てるんですよ。後から入った契約者は、俺も契約者なんだけど・・・
小林 一時期虫プロでアニメーションされててもその後は漫画に戻る方とか。村野守美さんとかにしても・・・アニメもやるけどマンガも、みたいな。
大橋 そうですね。
森本 あの当時ってアニメが始まったばかりだからいろんな業界からアニメに参戦してると思うんですよ。
小林 もともと手塚さんが漫画家だから、漫画の人は虫プロは行きやすかったかもしれないですよね。
大橋 杉野さんはもりまさきさんから呼ばれたんですけど、既に荒木さんは先輩として居たみたいなんですよね。
小林 荒木さんは貸し本時代劇画やられてたんですよね、先ほどおっしゃってましたが。骨太な絵なんですよね。なんだろうな、もりさんも美術学校出られてますけど確か芸大の建築だと思うんですけど。
森本 テロップが出るといいんだけどね。
小林 会場の方でもりやすじさんって知ってる方・・あぁ、25%くらいの人が手を上げてますね。
大橋 で、ちょっと遡っていい?なんでアニメーションを志したか、って言うとね。ホントに間がないんですけど劇画から急にアニメーションになって、中学3年の卒業と同時にもう東映に通うようになって、三ヶ月の所二ヶ月勉強してね。で、いきなり3本TVシリーズがあって、風のフジ丸・狼少年ケン・宇宙パトロールポッパ。
小林 名作ですね。
大橋 で、その中からどれに入りたいか自分で決めろ、って言われて風のフジ丸を選んだんです。
小林 それはなぜフジ丸だったんですか?
大橋 やっぱり貸本の白土三平の系列でしょ。
小林:森本 ああ~!そうか、ちょっと劇画チックっていうか・・・
大橋 そう。ケンなんか描けそうもなかったし。
小林 マンガとアニメーションってちょっと違ってて、マンガはやっぱり2Dっていうか平面で表現する世界かなぁと思うんですね。アニメーションってやっぱり空間と動きが入ってくるんでちょっと3Dに近くなると思うんですよ。大橋さんに聞きたいんですけど、劇画の世界にいたのにいきなりアニメーションを描けたものなんですか?っていうのは知りたいなぁと思うんですけど。
大橋 アニメーションはね、教科書の隅にパラパラ漫画を書いてたんでね、白紙があればやっていたって感じだね。知恵はあったね。
小林 それは東映の長編とかを観て触発されてとか
大橋 いや、もっと小さい時からやってたね。
小林 そっかぁ・・・できちゃってたんだ(笑)
大橋 動く、っていう原理は分かっていた。
小林 実際描かれた作品をご覧になっていかがでしたか?
大橋 もうね、毎日がね、楽しくってしょうがない、って言いながら仕事してた位でね。およそ1年は毎日無難に楽しくやってたんですよね。
小林 あの頃って、描かれてからテレビで観るのにそんなにタイムロスなかったですよね。
大橋 そう、だいたい完成品を試写室で見てたんだよね。だから半年くらい前は鉄腕アトムをテレビで見ていたのに、今度は試写室で見るようになっちゃったから。自然とテレビは見なくなっちゃいましたね。貸本も見なくなったし。だから描いたモノを即試写室で見れるっていうのは嬉しかったですよね。だいたい一週間に一本は試写室で観てた。楽しくてしょうがない時代でした。それは長くは続かないんですけど(笑)
小林 飽きちゃったんですか?
大橋 およそ一年から一年半くらいは無難にこなしてましたね。
それと当時は稼げたんですよねー。凄い(笑)今からすると夢のような話で申し訳ないんだけど・・・当時たばこが50円位だとすると動画の値段も50円、カレーライスも東映の食堂なら40円で食べられるって感じだから。一枚描けばだいたいなんかできると(笑)珈琲も飲めると。
小林 一枚50円だったんですか?
大橋 そう。
森本 (今に例えると)350円?400円500円位ですか?劇場とか作品によって単価は違うんですけど。
大橋 だから10倍とは言わないけど5倍くらいにはなってて欲しいんだけど、5倍で250円・・・安いよなぁ。
それで最初ノルマの8枚から始めたんですけど、3ヶ月ぐらい過ぎたら一日ノルマが12枚になり18枚になり、それを超えるとお金がもらえるんですよね。で最高一日100枚以上やったことあるし、100枚目指してましたから。
森本 一日100枚って凄いことですよ?自分でも最高月で1,000枚くらいですもん。
小林 いっぱい動画を描けないと原画にあがれないっていう・・・
森本 そう、原画になるノルマが1,000枚だったんで、あしたのジョー2の時に1,000枚描きました。
それでもその時1日30枚からその位だったから・・・
大橋 今じゃ10枚20枚がやっとだよね。
森本 今は線が多いですからね。もう影も多いし・・・
大橋 あ、昔影なかったですよ。影ゼロ。
森本 影ゼロ!いいですねぇ~それ(笑)
大橋 15才でね、15万。×3倍位にしてみて下さい。うち貧乏なんで急にお金持ちになっちゃって(笑)給料前にお金がなくなることはなかった。
森本 今より豊かじゃないですか。それ逆にね。
大橋 だから昔みんな豊かで、だんだん車を買うようになっていったんですよね。
森本 今のアニメーターは車買えないっすよ?
大橋 大塚さん宮崎さん、木村さんって順番に車を買うようになっってったの。
小林 大橋さんは大塚康夫さんの下でやられたことってあるんですか?
大橋 あ、全然ないです。
小林 テレビ班の方だったんですかね
大橋 オレの上には木村圭市郎さんでね。木村さんとは東映時代長いんです。10才上なんですよね。
(大阪日の丸文庫の「影」に投稿したイラスト登場。)
小林 あ!あった。学がひらがなだ(笑)あ~、でもさいとうたかおさんっぽいなぁ~。
大橋 これ東西対抗似顔絵合戦でね。最高商品が本だったんですよ。10週、10回載ったら本をくれたの。
それが最後だったけど一番いい賞だったかな。あとはアニメになっちゃったんで。結局劇画でやっていくにはストーリーが作れないとダメだったんで、その辺の勉強は全く出来ていなかったんでやっぱり劇画家にはなれなかったんだなぁ、と思うね。
小林 なるほど。そこでアニメの方に。
大橋 これね。未完の劇画ね。
小林 俺よく扉の絵だけで終わったりしましたけど(笑)
大橋 そうそうそう。
(ここで中学時代の未完の劇画登場)
会場 おお~!
小林 わ~!これ、めっちゃペン入れ途中じゃないですか(笑)めっちゃ上手いけど!
大橋 ああ、これ飛んじゃって(はみ出したインクを指差し)やめたのかもしれない。
小林 あぁ~そこでテンションが下がっちゃったのかもしれないですね(笑)でも絵を見るとやはりさいとう・たかをさんがお好きだったのかなぁ、って感じですよね。
森本 1963年ですね。
小林 オレ生まれてないや(笑)
大橋 で、東映に入った時に勉強をして、東映初期の原画の熊川正雄さんが先生で、普通の丸っこいキャラで横向いたりおじぎしたりするのを(3ヶ月のところ)2ヶ月ほど勉強したんですけど、「君は線はキレイだけどデッサンが狂ってるね。」って言われて。それは致命的に、けっこう今も尾をひいています(笑)
森本 それは登竜門としてあるんですよね。線をキレイに引くっていうのはね。原画とは又ちょっと違うんだけどね、俺も線を引くのが苦手だったんであきらめかけたんですよ。
小林 昔楕円をキレイに繋げ、って言われて楕円何個ひいたか分からない位描いて。ちょっと俺アニメに向いてないかも?って(笑)楕円で挫折しました(笑)
大橋 小林さんもマンガ描いてたの?
小林 ええ、そうです。僕ちょっとマンガ描いてたんですよ。オレ昔4℃で、ポポロのゲームの原画描かれてた頃に大橋さんに初めてお会いしたんですけど、僕宝島大好きなんですよ!とか言って。でその時大橋さんが「ん~君何やってんの?」でマンガ描いてんですけど~と言ったら「ん~マンガ続けた方がいいネ。アニメは年とると描けなくなっちゃうんだヨ」って言われて悲しかった思い出があるんです(笑)覚えてらっしゃいますか?
大橋 え、それオレが言ったの?
小林 マンガの方がいいよ~って言われてね。大好きなアニメーターの大橋さんにそう言われてちょっと切ないボヨ~ンとしたことがあるんですよ(笑)
大橋 すいません(笑)
小林 (笑)話を戻すと、木村さんのアニメーションって、テレビアニメのリミテッドアニメの走りっていうか、枚数を使わないんだけども効果的に動かすっていうのは僕はどこから来ているのかな、っていうのが興味があって・・・木村さんがいらっしゃって、芝山(努)さんとか(同名の)小林治さんとかがいて、その辺ってちょっとどうなのかな。木村さんのアニメーションって特殊な感じがされたんですか?テレビやられてた頃は。
大橋 木村さんのはね、15・16才で風のフジ丸の原画を見てたんで、かっこよかったです。みんな個性はあるんですけど小田部さんをのぞいては特に個性的だったね。小田部さんの話は長くなるので今日は置いておいて・・・
小林 え?置いちゃうんですか?(笑)ちょっと聞きたいなぁ(笑)
大橋 え、じゃあ少し話そうかな。(笑)ハイジの小田部さんはね、もの凄い最高の原画です。4Bか5B位で今では考えられないシャープな線で太くてね、ほっぺたの輪郭なんかすっと描きながら2本あるんですよ、スッスッていうね。重要なポイントにもう1本、2本あるのでね、それをどっちをトレスするかっていうのは動画としては悩むところでした。そのスッスッてのを動画の部分で再現しなきゃいけないのでね、スッスッってのをスピードで。原画にいかに近いかというトレスをしなきゃいけないので、原画一人一人によって動画を合わせなければいけないの。全体は関係なくていかに原画に近い再現をするかっていうことにおいては小田部さんが一番難しい人でした。巧すぎて。
小林 あ~なるほど~。オレ杉野さんのスペースコブラの動画を割ってるんですけど、杉野さんの描き方は2本線じゃなくて1本線でしたけど、何かこう、ふわふわしていて気持ちのいい線で、あれ、俺動画ムリ、とか思いましたもん(笑)スッて引かないとダメなんだけど、スッて引くとずれちゃうから(笑)
森本 基本的に100には近づかないですよ。80とか。でもね、アニメーションは何枚もあるのでね、止めだったらしょうがないけど動画の線が最終的に残るのでね。勢いが凄く大事だし。
大橋 当時の動画はね~、勉強になりましたよ~凄く。何でか?っていうと中も枚数が多いですし、トレスできるのは当たり前のことだけど、中を如何に作るか、っていうのはいちいち原画の人がそばにいるので見てもらわなきゃいけなかったんですよ。原画一人に動画が二人付いてたの。だけどオレの隣の人に名前は言いませんけど仕方なく原画描いてる人がそのへんにいました。疲れた感じの組合を一生懸命やってる人がいてね、あの人の原画は良くないネ、っていうのはハッキリ分かりました(笑)その人に付いてるのはイヤなんで、木村さんの方をやりたかったんです。さっき言ってた森本君の話じゃないけどね。動画は。面白いんで。原画枚数も多いし。
森本 分かります~。
小林 ちょっと話を引き戻しちゃいますけど、小田部さんの特徴って言うか、二重線とかじゃなくって、小田部さんって長編やられてた方だと思うんですけど、動きとかって違ったんですかね。
大橋 動きはね、小田部さん細かいです。動画の人を頼らないっていう感じで、
小林 上手い原画マンみたいな
大橋 そう。中枚数だいたい書いてあります。中って言うんじゃないですね送り書きだから、手前から例えば風のフジ丸がくるくるっと回転しながら銃の散弾がバンバンと入って、くるくるっとさらに後ろに回転して最後に木の上に登る、とかね。そんなカット描いてんですから。いきなり動画出来ないですよね。銃が発射して弾が飛び散るって書いてあるの。トレスするだけ。そのトレスが難しかったんですけれど。
小林 動きを作る面白さはなかったんですかね?
大橋 だから原画は一生懸命やってない人は、動画は適当にやって、っていう感じの原画になっちゃうから、責任持ってないんですよね。責任持ってる原画の人と、無責任な人と混合しているという感じ。
小林 木村さんはどうだったんですか?
大橋 木村さんはね、あんまり会社来ないんですけど(会場笑)うちで描いた原画をドサッと持って来るのね。
森本 僕の大橋さんの印象って絵もそうだけど、動かしの部分が凄く好きだったりするんですよね。だから木村さんが入ってるっていうよりももうちょっと細かいのもあるし、何て言うか両方の部分を持ってる印象があるんですよね。
大橋 木村さんの話をまとめますね。結局風のフジ丸の動画コンビの延長で、レインボー戦隊ロビンで木村さんが抜擢されて作画監督キャラクターデザインになって、その後サイボーグ009っていうふうに続くんですけど、それ、ずーっと一緒でした。
小林 その木村さんのアニメが出来ていくところだよね。それでタイガーマスクに行くんだけど、俺ロビンも009も好きですけど、009なんか(コンテにないのに)カメラの移動とか変えちゃってるし。
大橋 ああそうですね。木村さんもコンテ変えちゃったりとか。勝手にいろいろ変えちゃうんですけど(笑)これは面白くないよな!なんて言いながらカットを変えてたんですよね。まぁ、そういう感じでね。自分としては魅力のある人だったんですよね。
15から18.19・・・まぁ19才で東映辞めたんですけど、18才になる直前から挫折をして、十代の悲惨な青春を迎えるんです。少年から暗い青春に向かって、本当に死にそうな感じになって東映を辞めました。これは第一回目の挫折です。およそ一年ほどの放浪なんですけど、彷徨ってました。
小林 放浪の話は聞きたいなぁ。
大橋 いや、長くなるから止めよう(笑)
森本 大橋さんから5年5年の人生の区切りみたいなお話は、さっきね。
小林 いきなり仕事辞めてふっと旅に出ちゃうみたいな?
大橋 いや、想像つかないかもしれませんけど、15才からやっていて40年以上越えたんですよね。
でもず~っと平穏に来たわけじゃなくって、だいたい5年周期くらいで辞めたくなるんですよ。
森本 それは何でですかね?
大橋 何だろう~、自分のエネルギーの使い方がヘタなんだと思うんですけど。自分でひと山の目標を立てて、そこまで行ってその次の山が見えないんですよね。で落っこちちゃったまんまで、落ちる直前にも~これで辞めよう、これが出来たから辞めよう、って思うんだけど。
森本 確かに大橋さんと出会ってから何度か飲みに行った時に、そういえばそういうこと言ってたなぁって今思い出しました。
大橋 それで次何やるんですか?って聞かれてね。
森本 そうそうそう、え?何で?自分としては憧れの人が何をそんなに迷ってるんだろう?って全くよく分からなかったんで。だって好きなことやってるのに~って。
大橋 だからね、高校卒業してアニメ界入るとか、大学卒業してアニメ界に入る方がいいんじゃないか?って思うんですよ。オレの場合は若過ぎたから。大人ってヘンな生き物だな~って思って屈折しちゃってね。
小林 大人って汚い!みたいな(笑)
大橋 あの~大人の人ってね、年下に秘密を暴露しやすいですネ。(会場笑)なんだか油断してるのかね。
小林 (笑)それはいい話じゃないハナシが耳に入って来ちゃったんですね?
大橋 うん、ちょっと離れてても3つ上、だいたい5から10才は上だから。何しろ15才だから。
小林 傷ついちゃったんですね。
大橋 いろんな大人がいるけど、最初から無口な人は別だけど喋る人は何でも喋りますね。だから聞き役としてはね、大人っていうのはヘンな人だね~って。
小林 それで旅に出ちゃう。
大橋 なんか矛盾だらけで嫌になっちゃったの。嫌になっちゃったと思うとズズ~っと落っこちるんですよ。
小林 すごい純粋だったんでしょうね。
森本 でもその度にそれでも戻ってくるんですよね?
大橋 それで上手い具合に話を飛ばすと、一年半後ぐらいの20才の真ん中辺でネ、あしたのジョーが始まったんですよ。
小林 あしたのジョー1本目は参加されてないんですよね?さっき話しましたけどそこで出﨑さんや杉野さんが作られて荒木さんも参加されてたけど、そこでさっき言ってた貸本時代の劇画っていう何かをジョーを見ちゃったことで、大橋さんの中に何か惹かれるものがあったんでしょうね。ジョーに惹かれてたってことは大橋さんにお聞きしてるんで。
大橋 その駄目な時に、結婚までしてるんですけど、駄目ながら結婚をして何とか生計を立てなきゃいけないなぁ~って一応思って、まずね、Aプロの巨人の星のスタジオに入ったんですよね。巨人の星が先であしたのジョーは何ヶ月かずれて始まると思うんですけど、巨人の星のAプロにとにかく入れてくれって入ったんですよね。昔の東映の仲間の先輩だから。でもね、自分が本当にやりたいか?って思ってないで入ったから、長続きせずに一ヶ月もたずに辞めました。(笑)
森本 (笑)早いですね!
大橋 給料も貰わずに辞めました。
小林 (笑)貰っておきましょう!
大橋 いや、一年後ぐらいに貰いましたけど。
小林 良かったです!やった仕事はちゃんと貰わないとね(笑)
大橋 15から19まで、駄目だったんですよー俺。駄目は駄目なんだけど、駄目さっていうレッテル貼られながらAプロに入って、それを知ってる人がいて、要するにあの不良少年はヘマをしたらすぐにナントカってなくらい監視のもとで動画をやってたの。仕事はちゃんとやったんだけどね。ベルが鳴る朝の9時から5時までやればいいんですから。ある時9時にベルが鳴るまで週刊誌読んでたんですよね。で週刊誌閉じるのが1,2分くらい遅かったの。それを忠告されて、「キミ、仕事したまえ!」なんて言われてね。
小林 あぁ~オレ無理だぁ~(笑)
大橋 あれ、これ電波に乗っちゃうんだっけ?今のシンエイは全然違うけど、当時は楠部さんもいてあれだったけど課長が誰かにチェックするよう言われてたみたいでね、アイツ何かやったら忠告しろ、みたいなね。
小林 動画で入ったんですか?
大橋 そうです。
小林 原画で入って下さい(笑)
大橋 一年生からやろうと思ったんです。復活しようと思ってね、自分の中で結婚しちゃったからね。
だけど即辞めです(笑)明日から行かない・・・こんなヤな会社いたくない・・・みたいなね。自分が入りたくて入ったというより、仕方なく入っちゃったっていうね。
小林 ちょっと思うのは、ラクな仕事じゃないじゃないですか。アニメの仕事って。だから愛がないと続かないみたいなのはありますよね。
大橋 そうだね。で、アニメーションのバイトなんかで繋いでいったんですよね。
小林 それであしたのジョーと出会ったのは辞めた後なんですか?
大橋 そうです。いいの?(司会の森本氏いったん退席中)待ってなくていいの?
小林 うん、いいのいいの。こっちの方が大事だから(笑)
大橋 あ、そうか(笑)本当は10代一区切りとしてアニメーションを辞めたはずなんですけど、21才の時に長女が誕生してその辺ですね。あしたのジョーが始まったのは。
小林 子供が出来て、あしたのジョーを観て、大ショック!(笑)ジョーは一話からご覧になったんですか?
大橋 一話は見逃してると思うんですけど、とにかくオープニングから凄いインパクトがあるし。
小林 サンド~バァッグ~に~(歌う)
大橋 さすがにシビレちゃいましたよ~。劇画的な要素があるんで。
小林 あ~なるほど!佐武と市はご覧になってますか?
大橋 あれは仕事してます。
小林 お好きなんじゃないですか?
大橋 あれは大人のアニメとして9時頃から始まったんだけど
小林 あの村野さんの演出が凄い好きで。
大橋 なんか~やりたいコトやってますよね~(笑)あれはね、木村さんと一緒に観た記憶があります。一話かなんか。お!なんかやってるな~、って言って。
小林 木村さん何か言ってました?
大橋 うん、やっぱりあの~、何だろう、他社で何かやるってことは・・
小林 あれは虫プロ?
大橋 虫プロで始まって、東映はグロスか何かで観てて、やるようになるんです。佐武と市はやってるんです。その流れでもうちょっとやってます。
小林 あれ村野さんが演出されてた刀がぶつかったシーンだけが光るっていうのが凄い好きでカッコイイな~って思って。
大橋 あれは黒澤明っぽいのをやってますよね。
小林 アニメっていうより映画をやろうとしてるのかなぁ~って。絵はあまり動かしたりはしないんだけど。
(森本氏着席)
森本 今どこまでいったの?
小林 今あしたのジョーの話から
大橋 木村さんは群馬の上州出身なんですよね。楠部さんと同郷なんですよね。
小林 あ~はいはい、お聞きしたことがあります。
大橋 それで木村さんはね、当時敵対してたんです。楠部さんと。楠部さんを頼って東映に入ったんだとは思うんだけど、これ言っていい話かは分かんないけど、俺の敵だ!って感じだったの。楠部さんが。
小林 ん~~、なんかね、こないだお聞きしたんですけど、楠部さんと大塚康夫さんっていう2大巨頭がいて、それで楠部さんのアニメは好きじゃなかった、って言ってました(苦笑)やっぱり大塚さんの方が断然アニメがいいと思ったって。けっこう違ったって言ってましたね。
大橋 それでね。俺も子分みたいになってたの。木村さんの。それがそれなのに何でアイツのとこに行くんだ!って家に怒鳴り込んできたの。
小林 楠部さんがですか?
大橋 いや、木村さんが、楠部さんのとこに何で行くんだ!ってね。
小林 木村さんがですか?それキャラ合ってますね。
大橋 ちょっとヤクザっぽいんだけど(苦笑)
-中略-
森本 はい。次行きましょう。
小林 あしたのジョーに行きますか?木村さんの話に行きますか?
大橋 いろんな人がいるんでね、一人ひとりはしゃべれないけど
森本 いや、大橋さんの話が聞きたいので。
大橋 自分しか知らないこともあるんでね。
森本 いや、大橋さんの話を聞きたいんで。
小林 あ、そうだよね。これ進めたほうがいいんだよね?(笑)あしたのジョーに行きましょう!
大橋 その前にね。
森本 何でそこで戻るんですか!(笑)
大橋 自分は自立しなきゃいけないと思ったの。木村さんは誘いに来た時に、やっぱりプロダクション作りたかったんですよね。
小林 一緒にやりたかったんだ。やっぱり劇画やられてたから、大橋さんはかっこいい絵が描けたと思うんですよ。木村さんのアニメって、かっこいいポーズを繋げていくアニメだから、多分劇画っていうのが合ってたんじゃないかな。カッコイイポーズ描くじゃないですか。木村さんはそこに自分と似たような物を感じたんじゃないのかなぁ。大橋さんにね。
大橋 木村さんのはね、人に説明する時にね、体使ってアクションを表現するんですよね。打ち合わせなんかで相手がびっくりしちゃうんですけど(再現する)こうやってね、体が前からこう後ろにって実演するんですよ。目の前でパーンって手を叩いたりするのね。後で聞くと木村さんに脅かされたって思うらしいのね。全然そんなことないんですけど一生懸命本人はやってるだけなんで。サングラスかけて赤いシャツも襟をこう出したお馴染みのスタイルでね。当時赤プロダクションを作ろうって言ってたぐらいだから。「赤プロで行きましょう!」ってね。アパートを見つけてきてやる直前だったんだけど・・・
小林:森本 そうなんですね。一緒にやろうと・・・
大橋 だけどね~、結婚して子供も出来つつあるし、この人に頼ってては俺はもうずーっと駄目だろう、っていうふうに思ったんですよね。
小林 ちょっと、コピーって言うか、子分っていうか自分が確立出来ないかな~、っていう・・。
大橋 精神的にいったん落ち込んだら離れちゃいましたね。木村さんは好きだったけど離れなきゃいけないと思ったの。
小林 ああ。なるほど。
大橋 それでまぁ逃亡じゃないですけど、一応逃亡しました。何言っても返事しない、ってぐらいに離れなきゃいけなかったの。
小林 するとあしたのジョーはどの感じになるんですか?
大橋 そう!すると忘れた頃にやってきたあしたのジョーね(笑)完璧にあれで戻されましたね。アニメの世界にね。
小林 その木村さんと別れると同時に、アニメとも決別しよう、って思っていたところがあったんですかね。
大橋 思ってました。
小林 戻ってくれてありがとうございます(笑)宝島大好きだもん。戻ってくれなかったらと思うと。
大橋 それであしたのジョーと大塚さんのムーミン、両方同じ頃なんですけど、一生懸命やってる人たちがいる、ってんでね、凄い作品を熱気込めてやっているっていうね。
まず出﨑さんの名前は分からなかったです。あしたのジョーは誰が書いてるんだろう?って思って。
杉野さん、って名前が一番先に出て、あしたのジョーやりたいな~って思いながら指をくわえて、ず~っと最後まで見過ごした感じなんですよ。それでね、(あしたのジョーの)最終回のコンテやってる頃に次回作の「国松さまのお通りだい」にジョーのスタッフがそのまま入るってことでね。
小林 杉野さんがキャラデザだったんですよね?
大橋 そうです。それでね、どういうわけか関わることになったの。で、国松さまは東映時代の仲間と半パートずつ原画をやって。
小林 いいよね。半パートずつだよ・・。
大橋 その頃半パート当たり前なの。
森本 いや、昔はね、テレビのアニメって言うのは正味21分くらいかな本編は。CMを挟んで前半Aパート後半Bパートでね。昔はそれを二人でやってましたよね。大橋さんと川尻さんとか。
大橋 木村さんと一緒に紅三四郎っていうのを半パートずつやったことありますよ。で、杉野さんの話に戻るけど、国松さまはね、石神井公園の、線路沿いで下が洋裁学校で2階が虫プロのジョースタッフがいて、そこにね、「机貸してくれる?」って訪ねて行ってね。そしたら(自分の机の)隣の隣に杉野さんがいて、後ろに川尻さんがいて。とにかく仲間に飢えてるっていうか孤立してるから入りたかったんですよ。入りたかったと言っても机貸してもらっただけなんですけど(笑)
小林 入ったじゃないですか(笑)
大橋 それで何度か行ってるうちに国松さまの最終話を迎えて虫プロ解散ってことになって。虫プロ最後の作品ですね。それで次どうしよう?ってなった時に・・・・
その時虫プロのスタジオには出崎さんいなかったんですよ。
ただ自分の仕事を見ててくれてたみたいでね~。
これがきっかけなんですよ。出﨑さんうちに来てくれたの!丸山さんと。
~終~
このトークは残念ながらここまでです。(まさかまさかの撮影機材のバッテリー切れ)
この日は会話が脱線しつつも中学時代から東映時代のエピソードなど濃密なトークが繰り広げられました。出﨑氏と丸山氏が訪ねて来た、というその後の話は既に存知の方もいらっしゃるかもしれません。この続きはまたいつか…どうぞお楽しみに。
最後までお読みいただきありがとうございました!